AOR歌謡レビュー

【40周年記念】NIAGARA TRIANGLE Vol.2をポップスマニアが徹底解説

ナイアガラトライアングル2

大瀧詠一が佐野元春・杉真理と制作した「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」が40周年を迎え、2022年3月21日に最新リマスタリング盤として再発売されました。

現在はシティ・ポップの名盤のひとつに数えられる作品ですが、実はそれだけで語れない濃密なストーリーが詰まった一枚です。

今回はそんな「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」をポップスマニアの私が徹底的に解説します。

NIAGARA TRIANGLE Vol.2とはどんなアルバム?

「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」は、1976年に山下達郎、伊藤銀次らと発表したアルバム「NIAGARA TRIANGLE」のシリーズ第2弾です。

大瀧詠一が佐野元春・杉真理の2人を誘って1981年秋にシングル曲「A面で恋をして」を制作したのをきっかけに、同年12月に3人で企画盤を作ると決定。翌年3月21日に発売されました。

大瀧詠一にとって1982年3月21日は、好セールスを記録した「A LONG VACATION」(通称「ロンバケ」)のお披露目からちょうど1年後に当たります。

なぜ「トライアングル」なのか

トリオ名の「トライアングル」は、「ティーンエイジ・トライアングル(ジェームス・ダーレン/シェリー・フェブレー/ポール・ピーターセン)」から着想。

なぜトリオ編成にしたのかについては、大瀧詠一が「御三家」「3大○○」「3人娘」のような、「3人グループ」に文化的な意味を見出していたからだとか。

大瀧詠一の「3人」へのこだわりについて、Vol.1に参加した伊藤銀次はこう証言しています。

"3人"っていう人数が、ものごとが面白くなる最小単位だと考えていたみたいですね。「人間は、3人から派閥ができる」とも言ってた。てんぷくトリオを例に出して、自分が三波伸介、山下くんは伊東四朗、ぼくは戸塚睦夫だと(笑) 

NIAGARA TRIANGLE Vol.2読本

制作時のエンジニアは吉田保、助川健、吉野金次の3人で、大瀧詠一はエンジニアもトライアングルになるよう狙っていたようです。

大瀧詠一と佐野元春の出会い

大瀧詠一と佐野元春、杉真理はどのようにして知り合ったかを見ていきましょう。

まずは大瀧詠一と佐野元春の出会いから。

1980年9月26日、原宿・レスター会館で大瀧詠一が開催したポピュラー音楽の講習会にて、伊藤銀次の紹介で初対面。

その後「ロンバケ」のレコーディングをしているところへ訪ねていくなど、伊藤銀次を介した交流が生まれます。

佐野元春は後に、「SOMEDAYの音は大瀧さんのスタジオレコーディングを見なかったら生まれなかった」と語っています。

大瀧詠一と杉真理の出会い

つづいて大瀧詠一と杉真理の出会いです。

2人は1979年11月10日、川原伸司(作曲家・平井夏美)の結婚式で初対面を果たします。

式場で大瀧詠一を見かけた杉真理は大興奮。「大瀧さん、ファンです!」と告げると、「あっそう」とそっけなく言われたとか。

ちなみに川原伸司は、杉真理が出演した「大学対抗アマチュア・フォーク・コンテスト」(1974年9月/高田馬場ビッグ・ボックスで開催)の審査員を務めていたビクターの社員でビートルズ・マニア。杉真理にデビューのきっかけを与えた人です。

ディレクターとして「イエロー・サブマリン音頭」(1982年11月1日発売)で大瀧詠一とも組んでいます。

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NIAGARA TRIANGLE Vol.2の3つの聴きどころ

NIAGARA TRIANGLE Vol.2の聴きどころは次の3つ。

  1. 楽曲から漂うリバプールの匂い
  2. スローモーション感覚
  3. 迫力のあるサウンド

ひとつずつ見ていきましょう。

楽曲から漂うリバプールの匂い

NIAGARA TRIANGLE Vol.2結成にあたって、大瀧詠一は3人の共通点を探りました。

佐野元春・杉真理の2人が大瀧詠一の「空飛ぶくじら」が大好きだったことがわかると、ビートルズでつながると方向が定まります。

ビートルズの出身地=イギリスのリバプールということで、「リバプール・サウンド」がアルバムのメインテーマに据えられました。

「空飛ぶくじら」と似た趣のある佐野元春の「Bye Bye C-Boy」と杉真理の「Love Her」を起点にリバプールの匂いのする楽曲を配置しています。

つまり「Bye Bye C-Boy」と「Love Her」が、本盤に収録していない「空飛ぶくじら」とトライアングルを描いているわけです。

杉真理と佐野元春はビートルズをわかりやすく再現していますが、大瀧詠一はイギリスのバンドがカバーしたアメリカン・ポップスや、ビートルズのカバーをフィル・スペクターがプロデュースした作品など、ひねった「リバプール・サウンド」を展開しているので、このあたりも聴きこんで楽しみましょう。

スローモーション感覚

本盤に収められた一連の大瀧詠一作品には、時間の流れがゆっくり進む「スローモーション感覚」があります。

その意味ではドリーミー(夢見心地)な音楽を得意とした大瀧詠一の魅力が最も発揮された作品集ともいえるでしょう。

杉真理・佐野元春の両者の楽曲にアクション感覚が強いことも相まって、大瀧詠一作品に突入した途端、時間の流れががらりと変わるのも本盤の聴きどころです。

佐野元春・杉真理の作品と大瀧詠一作品との対比がおもしろいアルバムでもあります。

迫力のあるサウンド

今回の40周年記念盤は、リマスタリングで音のダイナミックさを強調しています。

30周年盤はマイルドな音でしたが、40周年盤は音圧が高く、ビートが強く感じられる仕上がりです。

マスタリング・エンジニアの内藤哲也によると、「30周年盤はマスターテープの音をそのまま聴いてもらう」意図があったことに対して「40周年盤では3人のバランスを心がけた」(NIAGARA TRIANGLE vol.2 読本)とのこと。

バランスを考えて音圧を高めたのでしょう。

マシンガンや波の音といったSEや楽器の重なりで盛られた音が立体的にクッキリしつつもまとまりがあって、ナイアガラ・サウンドのダイナミックな側面が活かされています。

「A面で恋をして」では3人の声の一体感もより強くなっています。

NIAGARA TRIANGLE Vol.2全曲解説

NIAGARA TRIANGLE Vol.2の収録曲をすべて解説していきましょう。

A面で恋をして

資生堂「サイモンピュア バランシングゼリー」のCMソングとして作られた楽曲。

松田聖子の「風立ちぬ」がヒットしていた時期に大瀧詠一のソロ名義で依頼され、ヒットチャートに「作曲:大瀧詠一」が並ぶのを嫌った大瀧詠一は断るつもりだったそうです。

ところがキャッチコピーの「A面で恋をして」を聞いたとたん曲想がひらめいてしまい、引き受けることになりました。

とはいえ、ソロ名義では出したくないので、「グループ名義で出そう」と決め、杉真理、佐野元春を誘って「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」としてレコーディング。

1981年9月から制作を開始し、翌月の21日に「A面で恋をして/さらばシベリア鉄道」としてシングルで発売しました。

松武秀樹によるマシンガンやクラクションのSEとバディー・ホリーの「Everyday」を引用しているのが特徴的ですが、ビートルズ的なコーラスを取り入れたため、ブリティッシュ・テイストが加わっています。

大瀧詠一にとっては「イギリスに持ち込まれたアメリカン・ポップス」という感覚だったのでしょう。

歌うパートは、スタジオに入って3人で話し合って決めました。

佐野元春はこのときのレコーディングを振り返り、「大瀧さんは自分のやり方を押し付けず、2人の音楽性を尊重してくれた」と語っています(オールナイトニッポンGOLD NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40周年スペシャル)。

大瀧詠一はレコーディングに時間をかけることで知られていますが、このとき佐野元春は「シングル盤のヴォーカル・テイクはあまり手間をかけるな」「活き活きとしたものでなければいけないんだ」と言われたとか(ミュージック・ステディ 1984年8月号)。

パート決めの楽しい雰囲気は、佐野元春と杉真理が歌詞でイジられていることからも伝わってきます。

「夜明けまでドライブ」のパートを佐野元春が「ドライブルルルルルッ!」と歌っているのは、デビュー曲の「アンジェリーナ」の「ブルルル、エンジンうならせて」にちなんだもの。

「クラクション鳴らして」のパートを杉真理が歌っているのは、1stアルバム「SONG WRITER」に収録された(榊原郁恵への提供曲でもある)「悲しきクラクション」に引っかけています。

40年前ならこんな無粋な解説(ナイアガラーの皆様方は「そうだそうだ、無粋だぞ!」とおっしゃるに違いありません)は不要だったはずですが、新しいリスナーには制作意図をしっかり伝えておく必要があります。

「A面で恋をして」のシングルの発売は1981年10月。同年12月には薬師丸ひろ子がマシンガンをぶっ放すシーンが有名な大ヒット映画「セーラー服と機関銃」が公開されています。

大瀧詠一は次の薬師丸ひろ子の主演映画「探偵物語」の主題歌を書いているので、「マシンガン」で薬師丸ひろ子とつながったとほくそ笑んだのではないでしょうか。

彼女はデリケート

佐野元春本人の談によると、マリー・ウェルズの「MY GUY」をベースに作ったとか。

そう見ると原曲はもっとハネたリズムだったのかもしれません。

この曲を聴いた大瀧詠一は、自身が沢田研二に提供した「あの娘にご用心」とのつながりを感じました。

「あの娘にご用心」=「彼女はデリケート」で問いと答えになる、と。

運命論的な観点から、「NIAGARA TRIANGLE Vol.2では絶対に「彼女はデリケート」はやってもらいたい」(スピーチバルーン2012年)と思ったと大瀧詠一は語っています。

ところがダメ出しが2つありました。

1つは歌。

佐野元春のデモテープには感情をおさえた歌が吹き込んであり、大瀧詠一はそのボーカルが気にいりません。

佐野くん、君はエディ・コクランが好きなんだろ?そう歌ったらいいじゃないか

と一喝され、佐野元春はエディ・コクラン風に歌うことにしました。

2つ目はフェイドアウト。

佐野元春はこの曲をフェイドアウトで終わらせようとしていました。

仕上がったトラックを聴いた大瀧詠一は一言「佐野くん、ロックンロールはカットアウトだよ!」。

あとから伊藤銀次にギターの音を足してもらい、強引にカットアウトにしたとのことです。

「ロックンロールはカットアウト」という思想はその後の自分に大きな影響を与えたと佐野元春は振り返っています(オールナイトニッポンGOLD NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40周年スペシャル)。

杉真理の証言によると、大瀧詠一は「A面で恋をして」と「彼女はデリケート」の頭を隙間なくつなげようと考えていたそうです。

そこへ佐野元春が、意気揚々とSEを空港で録音してきて「冒頭に入れたい」と申し出たので構想の変更を強いられたとか。

ポエトリーリーディングも作品の重要なパートとする佐野元春らしい選択ですが、その後、佐野元春は冒頭にSEを入れたのを後悔したらしく、「今度リイシューするときはあの詩の朗読をカットしてください」と大瀧詠一に陳情したそうです(スピーチバルーン2012年)。

Bye Bye C-Boy

佐野元春が16歳の頃に書いた楽曲で、ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のホーンアレンジを明確に意識しています。

1974年9月7日の「第8回ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)関東・甲信越大会」(東京・中野サンプラザにて開催)で初披露された作品。

このときの佐野元春は、ホルンが2人の10人編成バンド「バックレーン元春セクション」で出場しています。

同コンテストに竹内まりやらと組んでいたバンド「PEOPLE」で出場した杉真理は、佐野元春の存在が気になり、楽屋で「君、何曲書いてるの?」と声をかけました。

当時20曲程度オリジナルがあった杉真理は軽くマウントをとってやろうとしたそうです。

しかし佐野元春からは予想外の答が返ってきます。

「600曲」

杉真理は腰を抜かしそうになったとか(オールナイトニッポンGOLD NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40周年スペシャル)。

佐野元春は当時の杉真理の印象を次のように振り返っています。

杉くんが楽屋に来て、「佐野くん、さっき歌った曲、すごく良かったよ」と言って、握手するために手を差し伸べてくれたことを憶えています。その頃の僕は上から下まで真っ黒な服装をして、世の中に対して拗ねていた頃だから、杉くんの屈託のない笑顔と差し出された手を見て、なんだか物凄く懐かしいものに会ったような気がしました。

ミュージック・ステディ 1983年5月号

マンハッタン・ブリッヂにたたずんで

アルバム「SOMEDAY」用に書いた作品で、大瀧詠一からトライアングル用にしてくれないかと打診され収録。

大瀧詠一としては「SOMEDAY」の予告編にしたかったとか(元春レディオショー2012年5月22日)。

エコーが強くかかったウォール・オブ・サウンド風でありながら、曲調は1970年代のシンガー・ソングライターを思わせます。

情景描写を語りかけるように歌う佐野元春のフォークロック的作風は、後年「SHADOWS OF THE STREET(1986年)」でより強まります。

Nobody

ジョン・レノンの死を歌った楽曲で、杉真理にとっては初の本格的なマージービート路線のポップス。

制作中の杉真理の念頭には、ビートルズを忠実に再現したユートピアのオマージュ・ソング「抱きしめたいぜ(I Just Want to Touch You)」があったのではないかと思われます。

80年代には「今さらビートルズみたいな音楽をやるな」という風潮がありました。

1950年代風の音楽は受けたのに、60年代と70年代を意識した音楽は「前時代的」とされ、好まれなかったのです。

そんな中でビートルズへの想いを前面に出した楽曲が出来て、杉真理本人は手ごたえを感じたものの、レコード会社からは「こういう曲はやめたほうがいいよ」と反対され、「Nobody」はレコード化できない楽曲となっていました。

ところが大瀧詠一は「杉くん、これだよ!」と大絶賛(K's TRANSMISSION 2022 3/18)。

師匠に背中を押され、これでもかというほどビートルズへ寄せていくことに。

ボーカルパートは杉マッカートニーに佐野レノンのハモりで構成。

この楽曲で試みた杉真理のマージービート解釈は、後輩・竹内まりやの「マージービートで唄わせて」に受け継がれます。

ガールフレンド

原型は杉真理が竹内まりやに提供した「目覚め(Waking Up Alone)」(アルバム「BEGINNING(1978年)」収録)。

杉真理はマイナーキーの楽曲はあまり書いていなかったものの、大瀧詠一は「杉真理じゃないと出てこない曲」と高く評価(スピーチバルーン2012年)。

大瀧詠一は、杉真理のマイナーコードの楽曲にイギリス的な(マッカートニーやギルバート・オサリバンが備えているような)風格を感じたのでしょう。

本盤に「ガールフレンド」と「Love Her」というマイナーキーの作品を2曲も入れたのはそんな思いからではないかと。

後年書いたマイナー調の「ウイスキーが、お好きでしょ」が歌い継がれる名曲となったことからも、大瀧詠一の見る目の確かさが証明されています。

雨の風景を描いているため、後半の大瀧詠一作品「Water Color」とも呼応しています。

夢見る渚

元は竹内まりやに書いてお蔵入りしていた楽曲。

後に松田聖子に提供する「ピーチ・シャーベット」と通ずるサマーリゾート・ソングです。

杉真理は次のアルバム用にしようとしていましたが、大瀧詠一からの希望で本盤に収録しました。

杉真理本人によると、トッド・ラングレンの「I Saw The Light」のイメージで書いたのが、夏の雰囲気になったとか。

そういわれてみると、サビの「ドリーミング・オン・ザ・ビーチ」の歌メロは「I Saw The Light」の歌い出しに重なります。

A面の最後を飾る楽曲ですが、大瀧詠一としては「ドリーミング・オン・ザ・ビーチ」をNIAGARA TRIANGLE Vol.1の1曲目「ドリーミング・デイ」とつなげたかったのでしょう。

さらにいうなら「ドリーミング」は、本盤ラストの「ハートじかけのオレンジ」の「テキーラの夢」につながります。

「渚のカセットは/くり返す/いつも"LONG VACATION"」。

こういう歌詞を書いて媚びや嫌味を感じさせないところが杉真理の人柄の賜物です。

おそらく「渚のカセット」というイディオムが日本で初めて使われた曲で、その意味ではTUBE「SUMMER DREAM」の先行作です。

ちなみに江口"Candy"寿史先生のマンガ「ストップ!!ひばりくん!」の夏合宿シーンでは集団でこの曲が歌われます。

Love Her

ピアノを弾いて「Love Her」の歌いだしのメロディーが出来たとき、なぜか秋吉久美子の顔が浮かんだと杉真理は話しています(ミュージック・ステディ 1983年5月号)。

ハリー・ニルソンのアルバム「Harry (ハリー・ニルソンの肖像)」がビートルズ解散後の指標となったと語る杉真理らしい、ブリティッシュ・ポップスにアメリカン・ポップスの弾き語り感が混ざった作品。

60年代にアメリカからイギリスに持ち込まれたポップスが、70年代に入る頃アメリカに逆輸入される。といった現象がニルソンやラズベリーズの音楽には感じられましたが、杉真理はその流れをソングライティングの模範にしたのではないかとこの曲を聴くたびに思います。

そうして聴くと途中から入るホルンの音はビートルズ的でもあり、ニルソン的でもあります。

週末の恋人たち

大瀧・細野流の鼻で歌う「はっぴいえんど唱法」を継承した作品。

佐野元春自身もこの曲でボーカリストとしての幅が広がったと自覚したようです。

制作時は歌いだしの歌詞が「求人広告片手に」だと大瀧詠一は知らなかったそうで、のちに知って「求人広告から始まるポップスは史上初」と話しています(スピーチバルーン2012年)。

大村雅朗のストリングス・アレンジがフランス映画を思わせる優雅さ。

サビの恋人の呼び方が「セニョリータ」なのに驚かされます。

「ベイビー」や「ハニー」ではなく、なぜセニョリータなのか。

そのあとの「ちょっとしたあの娘のMotionにいかれてるのさ」で「あの娘」と引きのアングルで見ているから、つまり「セニョリータ」は心の声なのですね。

佐野元春はデビューアルバム一曲目の「夜のスウィンガー」でも「セニョリータにバラを捧げる前に」と歌っているので、特別な意識はなかったと思われますが、聴く側は突然のラテンモードに戸惑います。

「求人広告片手に」適当に日々をやり過ごしている男が、週末に彼女と海辺で過ごし、月の影の下で踊りながら心で叫ぶ。

「シャイニング!セニョリータ!」

なるほど、たしかにフランス映画=ヌーベルバーグ的な世界観です。

イギリス要素としては、コード進行のクリシェがギルバート・オサリバンに接近しているところでしょうか。

オリーブの午后

松本隆の作詞ワークとしては南佳孝、松田聖子で試みたアイランド・リゾートソングの一環と位置づけられます。

イントロのフィルインに合わせて重なる波のSEが見事。

後半の「君の寝顔に見惚れてもいいだろう」の一節は歌がうますぎて舌を巻きます。

世にファルセットのうまい歌手はごまんと存在しますが、ここまで抑制をかけた歌い上げができる歌手はそうはいません。

この曲を含む本盤に収められた一連の大瀧詠一作品は、時間の流れがゆっくり進む「スローモーション感覚」に満ちています。

なお、大瀧詠一サイドには「Arranger:CHELSEA」とクレジットがありますが、これは大瀧詠一の変名。

大瀧詠一の弟子で音楽評論家の湯浅学によると、「かつては"ちぇるしぃ"と表記していたこの"人物"は大滝の中の十代の心が中心となっていて精神年齢は18歳」(NIAGARA TRIANGLE Vol.2読本)とのことです。

白い港

「オリーブの午后」でクワイエットなひと時を過ごしたのもつかの間。

「心の片隅 何かが壊れたよ」と失恋の心情が歌われます。

この曲のリズムはトレジャーズの「Hold Me Tight」からの引用。

フィル・スペクターのプロデュースによるビートルズ・カバーなので、リバプール経由でフィル・スペクターに行きつく、という大瀧詠一のスタンスが示されています。

大瀧詠一の「仕掛け」に対して、松本隆の方も負けていません。

「映画色」とか「春色」とか色の表現にこだわっている松本隆がシンプルに「白い」と題しているなと思ったら、よく聴くととんでもない風景を描いています。

中盤に出てくる「カモメが波をかすめる」で白のイメージを見せ、その後「黒い髪」の女性が去ってゆく港の描写につながる。

つまりここで立ち上ってくる映像は「黒い髪」の女性のいない「白い世界」です。

コントラストで心の空白を際立たせて見せるわけですね。

軽快なリズムと裏腹にビターテイストな歌詞だと思っていると、とどめをさされます。

「港のカフェの椅子で/僕はふと一人なんだと気がついて苦いコーヒー飲むよ」。ああ、ブラックコーヒーか。

Water Color

「スローモーション感覚」が極まった一曲。

引用元は入り組んでいて、ロニー&ザ・デイトナス「Sandy」とそれをスウィンギング・ブルー・ジーンズがカバーしたバージョンを2つながら取り入れています。

バックトラックはスウィンギング・ブルー・ジーンズ版、歌はロニー&ザ・デイトナス版。

どちらかをとるのではなく、両方踏まえる。

このあたりに大瀧詠一らしいやり方が垣間見えます。

コードの動きが「Sandy」より複雑になっているのが、ロネッツの「Be My Baby」を元にもっと複雑な「Don't Worry Baby」を作ったビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンに重なります。

ハートじかけのオレンジ

本盤収録作のなかで最も素晴らしいのがこの曲。

イントロで鳥の声のSEが和音に沿っているのにまず驚かされますが、そんなのは序の口。

大瀧詠一が聴いてきた様々な楽曲の引用パズルがキレイにハマっています。

少なく見積もっても7曲が使われていることがわかります。

しかも適当に使っているのではなく、意図がしっかりあるのです。

Aメロにデイヴィッド・ジョーンズの「Dream Girl」を入れているのは、「テキーラの夢」という歌詞に「夢=Dream」を重ねたもの。

後半に引用されるコーデッツの「Mr. Sandman」は「眠りの精」を歌った曲で、ここでも「夢と目覚め」が歌われている歌詞にシンクロします。

大瀧詠一がこうした手の込んだ仕掛けを施す理由は、相倉久人との対談にて披露された「分母・分子論」(FM fan 1983年11月25-12月4日号)で明かされています。

☑分母・分子論

明治に制定された文部省唱歌がすべて海外から輸入した音楽であることを根拠に、日本の大衆音楽は世界史が分母、日本史が分子になっているとする説。

日本人は唱歌をとおして「国籍不明の洋楽」を自然に受け入れてきたと指摘している。

歌謡曲などで「国籍不明の洋楽」をバックトラックに使い、その上に分離した「日本の歌」を乗せている例を紹介。

やがて分母が「日本の音楽」になったポップスが現れ、1980年代には分母が「日本のものとも洋楽ともつかないもの」になったとし、その状態を「分母の喪失感覚」とした。

大瀧詠一は自身の音楽制作で常に「分母の確認作業」をしていたと語っている。

こうした大瀧詠一の重層的な引用は渋谷系ミュージシャンの心をもつかんだようで、カジヒデキは雑誌のインタビューで「ハートじかけのオレンジ」をフェイバリットに挙げています(サウンド・デザイナー 2015年1月号)。

おわりに

今回は2022年3月21日に最新リマスタリング盤として再発売された「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」を紹介しました。

NIAGARA TRIANGLE Vol.2の聴きどころは次の3つ。

  1. 楽曲から漂うリバプールの匂い
  2. スローモーション感覚
  3. 迫力のあるサウンド

【NIAGARA TRIANGLE Vol.2の総評】
※星5つで満点

時代性 ★★★
演奏  ★★★★
独創性 ★★★★★
楽曲  ★★★★★
歌   ★★★★★

本盤は音楽配信サービスでも聴けますが、CDとレコードも新たに発売されたので、聴き比べてみるのもいいでしょう。

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kinuzure

人生の大半の時間を中古盤DIGについやしてきたポップスマニア。いまだに大人になれていないクリスタルな四十路男。【来歴】1980年代、幼少期にAORと歌謡曲を聴いて育つ。 海外のAORを数多く聴いていたものの、あるとき「AOR歌謡」を発見。強く惹かれる。【好物】レコード/古本/1980年代/生クリーム/コーヒー/ウィスパーボイス/ディミニッシュコードの響き

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