ここ数年、海外で1980年代のシティ・ポップが注目されています。
シティ・ポップとは「都会的なムード」のある日本のポップス。
70年代後半から80年代にかけて作られ、2010年代にリバイバルした音楽ジャンルのひとつです。
海外で注目されるとともに、日本ではSuchmosやNulbarichら新世代のシティ・ポップ(ネオ・シティ・ポップ)が人気を集めたことで、ジャンルとして定着しました。
現在では、タワーレコードにシティ・ポップのコーナーができるまでのブームになっています。
また、中古レコード店では、70〜80年代に出たシティ・ポップのレコードの価格が高騰傾向に。
このように、シティ・ポップはトレンドの一角を占めています。
シティ・ポップ人気はフューチャー・ファンクから火がついた
きっかけのひとつは、セイント・ペプシによる山下達郎のラブトーキンをサンプリングした楽曲「Skylar Spence」。
この曲のサンプリングネタとして、日本のシティ・ポップは次第に注目を集めます。
こうしたコピペ的な音楽は「フューチャー・ファンク」としてジャンル化されていきました。
そのような流れで、韓国のDJ「Night Tempo(ナイト・テンポ)」が竹内まりやの「プラスティック・ラブ」や、中山美穂の楽曲をクラブでプレイしたことから、次第に海外でも80年代の「シティ・ポップ」が若い世代を中心に聴かれるように。
そして2020年11月には、松原みきの「真夜中のドア~Stay With Me」が世界の主要音楽配信サービスでトップ10に躍り出るという記録的な出来事が起きたのです。
ダンスミュージック・リバイバルの背景
世界ではこういったシティ・ポップ・ブームとともに、並行して80年代〜90年代のダンスミュージック・リバイバルも起こりました。
顕著なのがブルーノ・マーズとマーク・ロンソンによるヒット曲「アップタウン・ファンク」。
80年代のディスコブギーと2010年代のクラブミュージックを融合させたこの曲を皮切りに、80年代のダンスミュージックを見直す動きが盛んになったのです。
80年代ディスコブギーは、かつて日本でも流行りました。
その当時作られた和製ディスコブギーは「和ブギー」と呼ばれ、現在は一部のポップスファンにシティ・ポップと並ぶ人気を誇っています。
ここまで読んで「シティ・ポップ」と「和ブギー」は何が違うのか?と疑問に思われたのではないでしょうか。
実はこの2つはほぼ同じものです。
和ブギーのガイドブックには、和ブギーとは80年代の日本で作られた「ブギー/ファンク/モダンソウル/フュージョン/グルーヴの曲」と説明されています。
しかしそこで紹介されている曲の一部は、「Japanese CITY POP」や「和モノLight Mellow」といった「シティ・ポップのガイドブック」にも載っています。
だからほぼ同じといって差し支えないでしょう。
違いがあるとしたら「鑑賞ポイント」だけです。
鑑賞ポイント次第でジャンルが変わる
日本で作られた和洋折衷のポップスは、「何を一番味わって聴くか」によってジャンルが変わります。
- 楽曲全体を味わって聴くと「シティポップ」になる
- 演奏(リズム、グルーヴ)を味わって聴くと「和ブギー」になる
さまざまな要素が入っているからこそ「鑑賞ポイント」はいくつもあり、どの部分を味わうかは聴き手次第というわけです。
ここでさらにもう一つ別の大事な「鑑賞ポイント」があるといっておきましょう。70年代〜80年代の日本のポップスは歌謡曲として聴かれていました。
だとすれば、「シティ・ポップ」「和ブギー」のなかにも歌謡曲を見出すことができるはずです。
歌謡曲の聴き方は何よりも「歌」を味わうこと。
よって、もう一つの「鑑賞ポイント」はこうなります。
- 歌を味わって聴くとAOR歌謡になる
たとえば松原みきの「真夜中のドア」は、少なくとも次のような味わい方ができます。
- 楽曲全体を聴く=シティポップ
- 演奏を中心に聴く=和ブギー
- 歌を中心に聴く=AOR歌謡
このように味わいどころを変えれば何通りものジャンルにとらえられるのです。
「AOR歌謡」とは何かについては以下の記事で詳しく解説しています。
AOR歌謡は肯定的に紹介されていない
「シティポップ」や「和ブギー」にくらべ、「AOR歌謡」はさほど紹介されていません。
いや、正確にいえば紹介はされています。ただ「肯定的に」紹介されていないのです。
「シティポップ」のガイドブック「和モノLight Mellow」の中でも、「AOR歌謡」という用語が何度か出てきます。
しかし「AOR歌謡だから良くない」といったニュアンスで批判的に書かれていて、ほとんど蔑称です。
なぜそこまで「AOR歌謡」を忌み嫌うのか。そこに私は違和感を覚えました。
本当に「歌謡曲」に一瞬たりとも心を動かされたことはないのか?
そもそも日本のポップスに「歌謡曲的なもの」と「歌謡曲的でないもの」の明確なラインを引くことができるのか?そんな疑問を抱くのです。
とはいえ、かくいう私も最初から「AOR歌謡」を熱心に聴いていたのではありません。
シティ・ポップや海外のAORを聴いているうちに、「AOR歌謡」に目覚めたのです。その経緯を簡単に説明しましょう。
AOR歌謡への目覚め
70年代後半生まれで80年代に幼少期を過ごした私は、シティ・ポップをリアルタイムで聴いていました。
もちろん、当時はジャンル分けなんかして聴いていません。
耳にして気に入ったら聴く。それだけです。
といっても、山下達郎や大瀧詠一、EPO、松任谷由実といった人たちの音楽や、そのときどきに流行ったアイドルの曲を好んで聴いていたので、結果的にシティ・ポップの代表格に接していたことになりました。
そんなある日、中原めいこを知り、夢中になります。90年代に入ってすぐの頃です。
中原めいこは、80年代初頭にデビューしたシンガー・ソングライター。
一般的にはヒット曲「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね」や、アニメ「きまぐれオレンジロード」のテーマで知られています。
そのメロウな曲と伸びやかな歌声に、私は強く惹かれたのです。
ちょうどその頃、国内のポピュラー音楽が「J-POP」と呼ばれるようになっていました。
そうなると、「J-POPのカテゴリーに収まらない洋楽の影響が強めのハイセンスな音楽」を「渋谷系」と呼ぶ動きが出てきます。
そして、その「渋谷系」の源流にあるオシャレな音楽が「シティ・ポップ」(正確にいうと、当時は「シティ・ポップス」と呼ばれていました)だとされました。
そこではじめて、私は自分の聴いていた音楽がシティ・ポップというジャンルに属していることを知ります。
そんな中で私は、ずっと聴いていた中原めいこも「シティ・ポップ」だと思い、中原めいこのコード進行やアレンジから感じられる「洋楽的なセンス」を意識して聴くようになります。
しかし私は、中原めいこに洋楽的なセンスからはみ出した「歌謡曲」の匂いも感じとっていました。
哀愁を感じさせる歌詞や歌メロ、歌が手前に出てくる感じ。
それらがどうしても「シティ・ポップ」の範疇に収まらないと思っていたのです。
「シティ・ポップ」リスナーを自覚し、洋楽的な日本の音楽を好んで聴いていたにもかかわらず、私はひそかに「歌謡曲」の匂いに惹かれていました。
むしろそれは「たまらない」と思えるほど魅力的でした。
楽曲の完成度で圧倒する「シティ・ポップ」も「かっこいい」と思っていましたが、「歌謡曲の匂い」の方がもっとジワジワとあとを引くのです。
それから私は、「シティ・ポップ」と呼ばれる音楽から「歌謡曲」の匂いを見つけて味わう、といった聴き方をするようになりました。
たとえば次のような楽曲を聴いて「たまらない」と思ったのです。
そのようにして「AOR歌謡」の深みにハマっていきました。
そして、そろそろ軽んじられている「AOR歌謡」を見直すときだ!と意気揚々と立ち上げたのがご覧のサイト「たまらなく、AOR歌謡」です。
当サイトは次の2つを目指していきます。
- 70年代~90年代をリアルタイムで過ごした人たちが「AOR歌謡」の魅力を再発見するコミュニティ
- 70年代~90年代を経験していない世代の人たちが「AOR歌謡」の魅力にはじめて触れるコミュニティ
というわけでこの場にて、AOR歌謡の名盤から珍盤まで随時紹介していきます。
さあ、そろそろ出かけましょう。
たまらなく愛おしい、「あの音楽」を探す旅へ!