AOR歌謡レビュー

香坂みゆき「ラ・ヴィ・ナテュレル」は抜群のタイム感が活かされた知られざる傑作|シティ・ポップ名盤

香坂みゆき

「ラ・ヴィ・ナテュレル(La Vie Naturelle)」は、1988年発表の香坂みゆき通算11枚目のアルバム。フォーライフレコードに移籍してからは2枚目となる作品です。

和ブギーのガイドブックでも紹介され、今後はシティ・ポップ方面での評価も期待されます。

今回はそんな本盤「ラ・ヴィ・ナテュレル」を徹底解剖していきましょう。

「ラ・ヴィ・ナテュレル(La Vie Naturelle)」は過小評価されている作品

1988年に発表された本盤「ラ・ヴィ・ナテュレル(La Vie Naturelle)」は質の高い楽曲が多く収録された作品にもかかわらず、過小評価されてきました。

本盤というより、香坂みゆき自体が歌手として過小評価されてきたことがその原因ではないかと思われます。

香坂みゆきは抜群の歌唱力を備えているのに過小評価されてきた

香坂みゆきというと、器用にどんな歌もうたいこなせる印象があります。

しっとりした歌謡曲からポップなアイドルソングまで、何が来ても一定のクオリティーにまで持っていける。

実はそうした器用さこそが、香坂みゆきが過小評価されてきた原因ではないでしょうか。

事実、香坂みゆきには1984年の資生堂キャンペーンソング「ニュアンスしましょ」以降、ヒットがないのです。

歌唱力に恵まれ、個性を伸ばしてくれる人に恵まれなかった香坂みゆき

強烈な個性と歌唱力の2つを兼ね備えた歌手は評価されやすいもの。だとしたら香坂みゆきには前者が足りません。

楽曲を作家の意図通り表現できてしまうし、歌もうまい。なのに独自のクセやアクの強さがないため「歌声の存在感」が薄く、十分な支持を得られなかったのです。

高い評価を受ける歌手は、クセやアクの強さを持っています。だからこそ歌声の存在感が濃厚で、唯一無二の才能を聴くものに感じさせるのです。

たとえばデビュー当時のユーミンは、小刻みなビブラートがかかる独特な歌いグセを持っていました。

この歌いグセを「ちりめんビブラート」と言われ、一時はアルファミュージックの製作サイドからボイストレーニングで矯正されかけたのです。

ところが松任谷正隆は、ユーミンのこの唱法こそ個性として尊重すべきだとし、矯正に反対します。ユーミンが唯一無二の歌を50年にわたって貫けたのは、独特な歌いグセがあったことに加えて、本人の持ち味を活かせる環境を作ってくれる人が周囲にいたから。

香坂みゆきの周囲には、そのような助言をする人がいなかったのでしょう。もし歌いグセを活かして伸び伸びと歌えていたなら、同時代屈指のシンガーになっていたかもしれません。

なぜ香坂みゆきの個性を伸ばそうとする人がいなかったのか?その理由は、歌唱力が抜群に高かったせいではないかと考えられます。

歌唱力で勝負できない人は、歌唱力以外の何かを歌に求められます。

ところが香坂みゆきは歌唱力が飛び抜けていたため、周囲はそれ以外のものを求めなかった。歌唱力だけで成立する、と。

あるいは優等生的な気質から毎回録音をワンテイクで決めてしまい、録り直しがないから良し悪しを指摘されずに来た可能性もあります。

ともあれせっかくの逸材を磨き上げて、まぶしいくらいに光らせてくれる人に香坂みゆきは恵まれなかったのです。「ニュアンスしましょ」以降、作家に恵まれながらもヒット曲がないのはそのせいではないかと思われます。

さらに香坂みゆきには、セルフコントロールできる器用さがありました。自分にリミッターをかけてしまうのです。

結果的に個性を最大限に発揮できず、歌声の存在感が薄くなる。

1980年代中盤からのAOR歌謡的作品群、とりわけフォーライフレコードに移籍してから作られた本盤とその前年の「ヌーヴェルアドレッセ」は、ともに完成度の高い作品に仕上がっているのに、ヒットしなかったがゆえに和ブギーのマニアくらいにしか評価されていません。

こうした実状をシティ・ポップのブームが続くなかで変えていきたいところ。

この隠れた名盤が定番のシティ・ポップ作品になることを切に願います。

香坂みゆき「ラ・ヴィ・ナテュレル」の聴きどころ

本盤の聴きどころは次の3つ。

  1. 抜群のタイム感
  2. 羽場仁志と岸正之による中間色が際立つ曲
  3. 瀬尾一三のソフトかつダイナミックなアレンジ

ひとつずつ見ていきましょう。

抜群のタイム感

香坂みゆきの歌のタイム感は抜群です。強調すべき音の見定め。音の切り方や伸ばし方の的確さ。これらが完璧なので、歌の輪郭がシャープでキレイに聴こえます。

こうした端正さ、器用さが香坂みゆきの歌の特徴ですが、ムダがない=ノイズがないという弱点にも転じます。

羽場仁志と岸正之による中間色が際立つ曲

本盤には羽場仁志が4曲、岸正之が2曲を提供しています。2人とも派手ではないものの、中間色の際立つ佳曲を作るのが得意。

AORらしいシックな曲が本盤には並んでいます。

瀬尾一三のソフトかつダイナミックなアレンジ

本盤の編曲を担当したのは瀬尾一三。なぜ瀬尾一三が選ばれたのかというと、フォーライフを立ち上げた吉田拓郎と旧知の仲だったからではないかと推測できます。つまりフォーライフに顔がきく人物だったということです。

瀬尾一三というと、長渕剛や中島みゆきといったニューミュージック系のハードなギターを効かせたアレンジを思い浮かべる人が多いのでは。

しかし瀬尾一三はAOR歌謡アレンジの名手でもあります。

音の質感はあくまでソフトながら、広大な風景が見えるようなダイナミックさが瀬尾アレンジの特徴。

山下達郎との対談で瀬尾一三は、映像を頭に思い浮かべて物語を組み立てるようにアレンジをする、と話しています。

僕は楽器がなにもできないので、アレンジをする時には頭の中で絵コンテみたいに描いた物語を進めていくんですよ。主人公のいる場所から始めて、歌のストーリーによって、本人のアップから始まるのか、俯瞰から始まるのか……など、PVに近い映像を一度、頭の中で組み立てて、そこに合う楽器は何か、どうしたら主人公に合う音になるかを考えます。

音楽と契約した男 瀬尾一三

こうした手法が反映されているのが「EMPTY POOL」。イントロでプールの水面の波紋を音で表現しています。

場面の展開を意識した結果なのか、ホックニーの描いたプールを思わせる動きのある風景が描写されています。

水琴窟のようなスタティックな世界でなく、もっと広大でダイナミックな音です。

香坂みゆき「ラ・ヴィ・ナテュレル」のオススメ曲

香坂みゆき「ラ・ヴィ・ナテュレル」のオススメ曲を紹介していきましょう。

THIS IS MY NIGHT TO CRY

和ブギー界隈で人気のオープニング曲。

サビの歌唱はもう少し強めでも良さそうですが、タイム感が抜群のため、楽曲のグルーヴが最大限に活かされています。

MAYBE IT BECAUSE

エレピやコーラスがせつなさを煽るセンチメンタルなメロウグルーヴ。

リズムのハネを意識してタイトに歌っているタイム感の良さが素晴らしい。

JUST YOU JUST ME

「サタデイ・ビーチ」の「チ」の音を弱めてノイズを極限までカットしている技術力に驚かされます。ただ、楽曲全体で歌のノイズがなさすぎるところが、引っかかりに欠けます。

ほかの歌手が歌ったら、ブレスや歌詞にないムダな情報が歌に入るでしょう。

本盤と同時代の作品と比較すると、たとえば浅香唯の「乙女のX day」は「I Love you, darling!」を「アーイ ラビュ ダ~ハアリン」と歌っています。

聴き手には「ダ~ハアリン」が引っかかります。「ハ」って何?と。

香坂みゆきは、こうした「歌詞にないノイズ」を徹底的に削ります。本盤のボーカルにはそんな意識が強く出ているのです。

浅香唯ほどでないにせよ、一作前の「ヌーヴェルアドレッセ」のほうがわずかにノイズがありました。ということは、本盤でアイドル的な歌唱から脱却する意識が高まったのではないかと推察します。

EMPTY POOL

村田和人作曲によるプールサイドソング。

水面の揺らめきをイメージしたイントロのアレンジが素晴らしい。

ドライさと適度な湿度を含んだ歌声が涼しい夜風を感じさせます。

香坂みゆきの前に出ようとしない歌が楽曲の世界観にハマっています。

IT'S GOT TO BE LOVE

ギターカッティングと厚みのあるコーラスに支えられたメロウなブギー。

本盤のハイライト、かつ羽場仁志の傑作の一つです。

香坂みゆきのボーカルは湿度をおさえサラッとした声質にチューニングされています。弾むような楽しげなムードを歌い方で表現しつつ、はじけすぎないセルフコントロールができていますが、もっとはじけるとよかった気も。

HOW ABOUT YOU

羽場仁志の得意な白黒はっきりさせない中間色的なコード進行による歌メロにフォーライフ印が見えます。

だいぶ抑えた歌い加減ですが、Bメロからサビにかけてもっと感情を込めて強めに歌ってほうが楽曲とのギャップが生まれたよかったのでは。

NEWYORK STATE OF MIND

岸正之による微妙な起伏だけで成立させた職人技を感じさせる楽曲。

微妙な起伏に香坂みゆきのボーカルはきちんと対応できています。

高音が前に出すぎずほどよい加減で歌われていますが、これももっと踏み外したほうが、聴き手の感情を揺さぶります。

I STILL BELIEVE IN YOU

知る人ぞ知るクリスマス・ソング。

杏里のバラードを思わせるフォーライフブランドの一曲です。

香坂みゆきは最後まで破綻なく端正に歌い通しています。

おわりに

今回は香坂みゆきが1988年に発表したアルバム「ラ・ヴィ・ナテュレル(La Vie Naturelle)」を紹介しました。

本盤の聴きどころは次の3つ。

  1. 抜群のタイム感
  2. 羽場仁志と岸正之による中間色が際立つ曲
  3. 瀬尾一三のソフトかつダイナミックなアレンジ

【香坂みゆき「ラ・ヴィ・ナテュレル」の総評】
※星5つで満点

時代性 ★★★
演奏  ★★★★
独創性 ★★
楽曲  ★★★
歌   ★★★

本盤は2023年2月7日から音楽配信サービスで配信が開始されました。

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kinuzure

人生の大半の時間を中古盤DIGについやしてきたポップスマニア。いまだに大人になれていないクリスタルな四十路男。【来歴】1980年代、幼少期にAORと歌謡曲を聴いて育つ。 海外のAORを数多く聴いていたものの、あるとき「AOR歌謡」を発見。強く惹かれる。【好物】レコード/古本/1980年代/生クリーム/コーヒー/ウィスパーボイス/ディミニッシュコードの響き

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