AOR歌謡レビュー

伊藤美奈子のアルバム「誘魚灯」に描かれた「かすかな光」|シティ・ポップ名盤

誘魚灯

今回は伊藤美奈子の2枚目のアルバム「誘魚灯」(1984年)を紹介します。

決して派手ではないながらも奥行きのある作品で、松任谷正隆が制作の指揮をとったシティ・ポップ名盤のひとつです。

伊藤美奈子「誘魚灯」の聴きどころ

「誘魚灯」は伊藤美奈子が1984年に発表した2枚目のオリジナルアルバム。

ジャケットが印象的で、背景は淡いブルーの一色。床にライトが2か所あたり、その上に伊藤美奈子が立っています。

レコーディング期間は1983年11月15日~1984年2月17日にかけて。

しっとりした1stの「Tenderly」に比べ、冬の空気を反映したピリッと乾いた演奏が吹き込まれた作品です。

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乾季的な音になったことと、楽曲自体が洗練されたことにより、1stよりシティ・ポップの要素が増しています。

伊藤美奈子「誘魚灯」の聴きどころは次の3つ。

  1. かすかな光を描いた歌詞
  2. 洗練度の高い楽曲
  3. ティンパンアレイ系のミュージシャンによる極上のグルーヴ

ひとつずつ見ていきましょう。

かすかな光を描いた歌詞

本盤の作詞を担当したのは田口俊。田口俊といえば須藤薫の「雨の中の噴水」など、風景に心の機微を映した歌詞が得意な作家です。

本盤でも心の動きを風景にかさねた歌詞が際立っています。

とくに「かすかな光」を描いた曲が多く、心の揺れが巧みに表現されています。

顕著なのが「誘魚灯」の歌詞。

「ガラスの海の中泳ぐ魚たちを見てた/閉館になるまで子供だった私達は/遠い日の日暮れのアクアリウム」

水族館の風景が描かれ、魚が見ていた「灯り」に焦点があたります。

「まだ気づかず信じてた/ガラスのむこうの/遠い外海にもまだ/まばゆい灯りがあるって」

「ずっと信じ続けていたい/離れた今でも/私達が追いかけた/あの日のはかない灯りを」

光を追いかける魚に心情が重ねられているのです。

このほかの曲にも、かすかな光を見つける描写があります。

  • 「ベルベット・ブルー」の「水に落とす絵の具のようにとける
  • 「最後のレガッタ」の「朝焼けに浮かんでる橋を今くぐれば/光りだす川面よりその汗がとてもまぶしい」
  • 「さよならは言わずに」の「港にたたずむ船も灯をおとして
  • 「まどろみ」の「ゆらめく青い炎
  • 「ともしび」の「暮れゆく街ともりだす窓のあかりの/そのともしびのひとつに今私がいる」

なお、「誘魚灯」はアクアリウムが舞台ですが、田口俊は前年の1983年に、須藤薫のアルバム「プラネタリウム」でも全曲作詞を手掛けています。

洗練度の高い楽曲

本盤は伊藤美奈子の作品のほか、桐ケ谷仁が「最後のレガッタ」「誘魚灯」を提供、「まどろみ」と「デリンジャー 」は桐ケ谷仁と伊藤美奈子の共作です。

まず感じられるのが、伊藤美奈子の書いた曲がクオリティーを上げたこと。

細かいコードの動きや、サビでの音の飛躍などが前作から進化しています。

さらに全体の洗練度をグンと引き上げるのが桐ケ谷仁の提供曲。

シンガーソングライターとしてシティ・ポップの名盤を残した作家ならではのツボを押さえた洒脱な曲が本盤にハイライトを作っています。

ティンパンアレイ系のミュージシャンによる極上のグルーヴ

前作「Tenderly」に引き続き、本盤にも松任谷正隆ゆかりの一流ミュージシャンが参加しています。

  • キーボード 松任谷正隆
  • ドラム 林立夫 山木秀夫
  • ベース 高水健司
  • ギター 鈴木茂 松原正樹 安藤正容
  • アコースティックギター 吉川忠英
  • パーカッション 斉藤ノブ 浜口茂外也
  • サックス ジェイク・H・コンセプション
  • トランペット 数原晋
  • トロンボーン 新井英治
  • コーラス 桐ケ谷仁 桐ケ谷俊博 白鳥英美子

以上の人たちを個別に詳しく紹介していくと途方もなく長くなり本題を逸脱するので控えますが、いずれも80年代のシティポップを牽引した名プレーヤーだといっておきましょう。

伊藤美奈子「誘魚灯」のオススメ曲

伊藤美奈子「誘魚灯」のオススメ曲を紹介しましょう。

ベルベット・ブルー

ローファイなシンセとリズムが印象的なイントロが夜明けの海の凪を思わせます。

ギターカッティングが入り、骨太なベースとドラムが加わり水の波紋的なゆらぎを感じさせるグルーヴへ。

伊藤美奈子の柔らかく深みのある歌声が演奏に絡んできます。

Bメロからメロウな展開に。サビ前のディミニッシュのぐにゃっとした感触が心地いい。

指切り

演奏がクールなシティ・ポップの音でありながら、伊藤美奈子の歌がひたすら歌謡曲的に情緒へ向かう。

ただ、ムダな熱唱せずほどよい力加減がコントロールされているのはさすが。

AOR歌謡としては傑作に上げられます。

最後のレガッタ

エレピの響きとかすかに刻まれるドラムからスタート。ベースとギターが入り、ゆったりとしつつも重みのあるグルーヴへ。

伊藤美奈子の歌はウィスパーボイスに近く、絶妙な力加減で起伏をつけることによって立体感が強く出ています。

エアプレイの「After the Love Has Gone」のリズムを思わせるサビのアレンジがなんとも優雅なシティ・ポップ。

誘魚灯

コード進行とリズム、ストリングスが70年代のソウルを思わせる曲。

AORの名曲が作中にいくつも出てくる田中康夫の「なんとなく、クリスタル」。

この小説には、都会でクールに背伸びして暮らしながらも、本音は無垢なままでいたいと思っている男女が書かれています。

「誘魚灯」の世界観はまさにこうしたクリスタルな心情が描かれています。

「まだ気づかず信じてた/ガラスのむこうの/遠い外海にもまだ/まばゆい灯りがあるって」「ずっと信じ続けていたい/離れた今でも/私達が追いかけた/あの日のはかない灯りを」

https://www.youtube.com/watch?v=y7NrLGSzozk

鏡のように

イントロから松任谷正隆の弾くキーボードがグルーヴをリード、静かな世界観が作られます。

ししおどしのように鳴らされるパーカッションが、「あなたが石を投げて/心の水面揺らし/滑るひとすじの波紋が」の歌詞を引き立てます。

デリンジャー

本盤のハイライト。パーカッションなのかSEなのか、イントロで銃声を思わせる音が入ります。

滑らかなグルーヴと伊藤美奈子の歌声がゆったりとした中に緊張感を作っていて聴きごたえは十分。

本盤はサブスクで配信されていませんが、もっと聴かれるべきシティ・ポップの名曲のひとつです。

もうあなただけ

ここでもまた「After the Love Has Gone」的なリズムアレンジが登場。

アクセントを最小限にとどめた松任谷正隆のアレンジが効いています。

力を抑えつつも歌い上げる伊藤美奈子の歌唱力が映える曲。

伊藤美奈子のプロフィール

伊藤美奈子は1962年生まれのシンガー・ソングライター。

1982年、20歳で1stアルバム「Tenderly」とシングル「グラスの中の青い海」をリリースし、CBS・ソニーからデビューしました。

1984年には2ndアルバム「誘魚灯」を、翌1985年には3rdアルバム「Portrait」をリリースするも、以降の活動は途絶えます。

この間のメディアへの露出はFMラジオへの出演くらいしかなく、テレビ出演の記録はありません。

2000年、15年のブランクを経て「楽(gaku)」をリリース。

2009年11月6日には、四谷天窓comfortでソロライブも開催しました。

ただ、それ以降は表立った活動がない様子です。

おわりに

今回は伊藤美奈子の2枚目のアルバム「誘魚灯」(1984年)を紹介しました。

本盤の聴きどころは次の3つ。

  1. かすかな光を描いた歌詞
  2. 洗練度の高い楽曲
  3. ティンパンアレイ系のミュージシャンによる極上のグルーヴ

【伊藤美奈子「誘魚灯」の総評】
※星5つで満点

時代性 ★★★
演奏  ★★★★★
独創性 ★★
楽曲  ★★★★
歌   ★★★★★

本盤は音楽配信サービスで配信されていません。

リイシューCDもすでに廃盤になっているため、気になったら中古盤を探しましょう。

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kinuzure

人生の大半の時間を中古盤DIGについやしてきたポップスマニア。いまだに大人になれていないクリスタルな四十路男。【来歴】1980年代、幼少期にAORと歌謡曲を聴いて育つ。 海外のAORを数多く聴いていたものの、あるとき「AOR歌謡」を発見。強く惹かれる。【好物】レコード/古本/1980年代/生クリーム/コーヒー/ウィスパーボイス/ディミニッシュコードの響き

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