かすかにハスキーがかった魅力的な歌声を持ちながら、いまひとつ人気に火がつかなかった歌手。
それが今回の主役、今井麻起子です。
デビュー作である本盤「CIAO!」は、アイドルファンやシティ・ポップ・ファンにはおなじみの作品ながら、一般的にはさほど知られていません。
しかし「CIAO!」は、歌心あふれる歌手の残した名盤です。
詳しく紹介していきましょう。
今井麻起子「CIAO!」とはどんな作品?
今井麻起子は1970年生まれ。1988年に17歳で本盤「CIAO!」にてデビューし、翌年にセカンドを発表して以来、活動は途絶えています。
88年頃から、アイドル扱いされているのか、そうでないのかよくわからない歌手が増えてきました。
今井麻起子もそんな歌手の一人です。
数年すると、そういう歌手は「ガールポップ系シンガー」のカテゴリーに含まれたのですが、この時点ではまだガールポップブームは来ていません。
☑「ガールポップ」とは90年代に起こった「アイドルっぽい女性シンガー」ブームのこと。代表的シンガーは佐藤聖子、谷村有美など。
本盤は松任谷正隆がプロデュースし、シンクラヴィアのプログラミングと生演出を融合した音に仕上がっています。
シンクラヴィアとはシンセ、サンプラー、シーケンサーを統合させたシステム。
ポップス界では、シンクラヴィアだけで作った楽曲は数えるほどしかなく、なかでも有名なのはフランク・ザッパのアルバム「ジャズ・フロム・ヘル」です。
松任谷由実(ユーミン)の「ダイアモンドダストが消えぬまに」(1987年)から続く「純愛3部作」も、すべてシンクラヴィア・プログラミングによって作られました。
そのせいか、日本で「シンクラヴィア」というと、ユーミンとザッパの名前がすぐ挙がります。
また、本盤は質の高い楽曲が多く、デビュー作ながらハイレベルな今井麻起子の歌が楽曲の完成度を高めています。
本盤の制作には原田知世、南野陽子を売った敏腕プロデューサー・吉田格が携わっていました。
バックについている人の実力からすると、時期がよければヒットにもっていけたはずです。
「歌のうまいアイドルだか歌手だか区別のつかない女の子」は早すぎたのか遅すぎたのか。
いずれにせよ、1988年というタイミングでは注目されなかったわけです。
今井麻起子「CIAO!」の聴きどころ
本盤の聴きどころは次の3つ。
- デビュー作にして完成された歌声
- クオリティーの高い楽曲ばかり
- 松任谷正隆によるシンクラヴィアサウンド
ひとつずつ詳しく見ていきましょう。
デビュー作にして完成された歌声
本盤は、CDジャーナルのレビューでこう評されています。
これが新人・今井麻起子のデビュー・アルバムです。と言っても、ちょっと信じられないヴォーカリストぶりを発揮し、女性ポップス・シーンが楽しくなりました。どの声が地声か定かではないほど、曲によって声質が変化して聴こえる不思議な女の子です。
https://www.cdjournal.com/main/top/
「新人とは思えない歌のうまさだ!」と驚いているのが伝わりますね。
それほどまでに聴き手を戸惑わせるほど堂に入った歌いっぷり。
今井麻起子の歌は、デビュー作で仕上がっていたのです。
また今井麻起子はかすかなハスキーボイスの持ち主でもあります。
「かすかにハスキー」な歌声のアイドルといえば、80年代前半の松田聖子。
松田聖子は、かすかにハスキーがかったハイトーンボイスが特徴でした。
これに対して今井麻起子は、かすかにハスキーな低音が特徴です。
少女っぽさをイメージさせる外見と、かすかにハスキーな低音ボイスのギャップは、80年代には馴染まなかったのでしょう。
しかし、少女っぽさと低音ボイスの両立が違和感なく成立するようになった2020年代には、今井麻起子の歌声はまったく違和感がありません。
1988年から何周かして、いまちょうどいい頃合なのです。
クオリティーの高い楽曲ばかり
本盤には、「吐息でネット」を作曲した元ジューシィ・フルーツの柴矢俊彦や、MAYUMI、岸正之らが楽曲提供しています。
作詞を担当したのは田口俊。それぞれの持ち味が発揮された聴きごたえのある楽曲が集まっています。
ただ、結果的にクールな楽曲が多くなり、ポップなアルバムを狙ったにしては大人っぽすぎる出来です。
少年ジャンプを読もうとしたら、中身がヤングジャンプだった。ぐらいのごくわずかなパッケージと内容のズレを感じるでしょう。
とはいえ、楽曲が高品質なことは間違いありません。
松任谷正隆によるシンクラヴィアサウンド
本盤は、松任谷正隆の「シンクラヴィア」シリーズ作として貴重な一枚です。
プログラミングの効果でクリアな「抜けのいい音」が聴けます。
本盤を含む松任谷正隆プロデュース作品でシンクラヴィア・プログラミングを担当したのは武新吾。
ユーミンの「純愛3部作」でも大活躍した人です。
ところが松任谷正隆は、武新吾に一任したことについて、「組んではいけない人と組んでしまった」と後悔を口にしています(松任谷正隆「僕の音楽キャリア全部話します」)。
80年代から90年代前半にかけて、国内でシンクラヴィアのプログラミングを担当していたオペレーターは、「プログラミングの専門家」であって「音楽の専門家」ではありませんでした。
つまり音楽の素人だったのです。
素人は、譜面にあらわせないグルーヴやタイム感といった、リズム面での微妙なニュアンスをくみ取れません。
プロのミュージシャンは、グルーヴを生みだすため「ズレ」や「間」を重視します。
ズレなしに拍にジャストで打ち込むと、のっぺりした音になりグルーヴが壊れます。
じっさい、本盤でも楽曲のタイム感がもっさりしている面があります。
僕が音楽を始めて半世紀以上かけて身に着けたもので一番重要なものを訊かれたら、答えは間違いなく「グルーヴ」です。
(中略)
自分の体から自然にグルーヴが生まれるのがミュージシャン。グルーヴを持たない人はプロとして音楽をやってはいけないとすら思います。
松任谷正隆「僕の音楽キャリア全部話します」
このように語る松任谷正隆にとって、「シンクラヴィア」でグルーヴが壊されるのが耐えがたかったのでしょう。
しかし、制作時のテクノロジーの限界による音を味わうのもポップス鑑賞の醍醐味です。
シンクラヴィア・プログラミングのもたつき加減を聴くのも悪くありません。
かえって、今の技術ならスンナリできてしまうことができないのが、80年代後半~90年代前半のデジタル・サウンドの魅力でもあります。
今井麻起子「CIAO!」のオススメ曲
今井麻起子「CIAO!」のオススメ曲を紹介していきましょう。
【1 恋はポーカーフェイス】
ユーミンの「リフレインが叫んでる」と同じ発想で作られたイントロにシンクラヴィア期の松任谷正隆らしさを感じます。
アレンジで若干ビートルズ・テイストが加わっている楽曲。
サビの「Take a chance, pokerface」のあとの「ん~」のフェイクが抜群にうまく、冒頭からいきなり驚かされます。
【3 Stormy Night】
Mayumiによるメロウ・グルーヴの名曲。
今井麻起子はブルーノートも余裕で歌いこなしています。
【4 Walkin' In The Rain】
イントロで松原正樹&今剛のギターが楽曲のメロウな世界への入り口をみごとに作っています。
Mayumi作曲。
【5 恋のハーモニー】
デュエット曲。相手は当時駆け出しのシンガー・ソングライターだった楠瀬誠志郎。
楠瀬パートの途中で合いの手のように入る今井麻起子の「ララララー」のフェイクが新人離れしすぎ。
【6 夏の成層圏】
イントロでペダルポイントコード進行をシンクラヴィアがやや前ノリ気味に運んでいく。
テクノロジーの未発達さによるチープ感が80年代の空気を感じさせます。
【7 バスルームで泣いてたの】
イントロにシンディ・ローパー「Girls Just Want To Have Fun」をイメージさせるフレーズが聴けるものの、歌メロでもう少し影のある展開に。
今井麻起子の低音ハスキーボイスが活かされた楽曲です。
この楽曲のライブ音源がYouTubeに上がっていましたが、アルバムよりもむしろ歌の出来がよいのが驚きです。
【8 The End】
ユーミンサウンドそのもの。
難しい楽曲ながら、難なく歌いこなしてしまっているのが驚異的。
【10 So Long -2人乗りの夏-】
Mayumiによるスイート&ビターなバラード。
後半で微妙に声色を変化させています。
【収録曲】
1 恋はポーカーフェイス
2 ベリー・ロール -風の助走路-
3 Stormy Night
4 Walkin' In The Rain
5 恋のハーモニー
6 夏の成層圏
7 バスルームで泣いてたの
8 The End
9 Julian
10 So Long -2人乗りの夏-
おわりに
今回は、1988年2月26日に発売された今井麻起子のデビューアルバム「CIAO!」を紹介しました。
本盤の聴きどころは次の3つ。
- デビュー作にして完成された歌声
- クオリティーの高い楽曲ばかり
- 松任谷正隆によるシンクラヴィアサウンド
【今井麻起子「CIAO!」の総評】
※星5つで満点
時代性 ★★
演奏 ★★★
独創性 ★★
楽曲 ★★★★
歌 ★★★★
一時期、本盤はソニーのオーダーメイドファクトリーによるCD化候補に上がりましたが、実現にはいたりませんでした。
現在、音楽配信サービスでの配信もありません。
気になったら中古盤を探しましょう。