当サイトは「AOR歌謡」を中心に取り上げています。
大半の人が「AOR歌謡って何なの?」と思っているはず。
あるいは、「イメージはできるけど、シティ・ポップとの違いは?」といった疑問を抱いているのではないでしょうか。
そこで今回は「AOR歌謡」とは何か、シティ・ポップとの違いはどこにあるのかについて掘り下げていきます。
AORは「なんとなく」なジャンル
「AOR歌謡」を理解するには、まず「AOR」が何かを明らかにする必要があります。
AORとは、70年代中盤から80年代初頭にかけて流行したポップスのこと。
アダルト・オリエンテッド・ロックの略称で、「大人向けのロック」を意味します。
ジャズやボサノバ、ソウルから、ウエストコースト・ロックやレゲエまでが含まれるため、どれをAORとするかは受け手の感覚にゆだねられます。
要するに「定義があいまいな音楽」なわけですね。
まあ、AORを広く紹介したのが田中康夫の小説「なんとなく、クリスタル」なので、AORが「なんとなく」の音楽になるのも仕方のないことです。
ここでは「なんとなく、クリスタル」にならって、「なんとなくオシャレで大人っぽい音楽全般」がAORとしておきましょう。
AORとシティ・ポップの違いは?
ここで気になるのが「AOR」と現在、海外を席巻している「シティ・ポップ」との違い。
「シティ・ポップ」も、70年代中盤から80年代初頭にかけて流行したオシャレで大人っぽいポップスです。
実はこれらはほぼ同じもので、日本版AORを「シティ・ポップ」と呼びます。
逆にいえば、「AOR」はあくまで海外の音楽で、日本産の「シティ・ポップ」は原則的に「AOR」とは呼びません。
AOR歌謡は「歌」を中心に聴くポップス
日本版AORは「シティ・ポップ」を指すとされますが、そのなかには「AOR歌謡」が混ざっています。
「AOR歌謡」とはどんなものかというと、歌謡曲にAORの要素が混ざった音楽です。
「シティ・ポップ」と「AOR歌謡」は厳密に区別できません。
歌謡曲は「歌を中心に作られ、聴かれるポップス」で、「歌と演奏」が区切られるように作られています。
そのため、AORの要素があり、歌と演奏を区切って聴けるのは「AOR歌謡」。
歌と演奏を区切らずに聴けるのは「シティ・ポップ」。
一応はこのように分けられます。
ただ、こうした違いは聴き手の主観にゆだねられるため、厳密に区別ができないのです。
じっさい、これら2つは区別されず、70年代から90年代初頭にかけて両者は混ざり合っていました。
ではどのように違うのか詳細を確認するため、「シティ・ポップ」と「AOR歌謡」の特徴を見ていきましょう。
シティ・ポップの特徴
シティ・ポップは「歌と演奏を区切らずに聴ける」と書きました。
そのようにして聴くと、次の3つの特徴が浮かび上がってきます。
- デザイン先行
- 焦点をアンサンブルに当てる
- 情景描写で語る
それぞれ見ていきましょう。
デザイン先行
シティ・ポップは基本的にデザインを先に決めてから制作されます。
歌謡曲の場合、曲ができてから編曲家に仕上げの依頼をしますが、シティ・ポップは作曲・作詞の時点ですでに完成図ができています。
作詞家の康珍化は、杏里の「悲しみがとまらない」の歌詞を書いたとき、作曲家の林哲司に「Stop! In the Name of Love」のイメージで曲を付けてほしいと頼んだそうです。
そのイメージで林哲司は曲を書いて、角松敏生とともに編曲を仕上げました。
つまり、着想時点から完成図に向かってデザインされて作られたわけですね。
シティ・ポップの制作はおしなべてこのような手順を踏みます。
- ジノ・ヴァネリの「 I Just Wanna Stop」のイメージで
- エアプレイの「Nothin' You Can Do About it」風のハーフタイムシャッフルで
- 「トリッピング・アウト」のリズムで
- 「ウーマン・ニーズ・ラヴ」のスタイルで
こんなふうに、リズムのフォーマットやイメージ共有によってデザインされた通りに作られるのです。
こうしたシティ・ポップの制作手法は、のちの渋谷系に受け継がれていきます。
焦点をアンサンブルに当てる
シティ・ポップは焦点を「歌」でなく曲全体=アンサンブルに当てているのも特徴です。
歌を楽曲のパーツのひとつと考え、特別扱いしない。
シティ・ポップには総じて演奏全体(アンサンブル)を聴かせる志向が感じられます。
シュガー・ベイブを送り出したプロデューサー・牧村憲一は、「はっぴいえんど」をシティ・ポップの出発点としてとらえ、その特徴を次のように語っています。
それまでヴォーカル偏重型だった日本のポピュラー音楽において、言葉・メロディー・リズムが一体になった洋楽的なサウンドを作り出した
「東京人」2021年4月号
このことから、「ヴォーカル偏重型」でない「言葉・メロディー・リズムが一体になった洋楽的なサウンド」がシティ・ポップのマナーだといっていいでしょう。
つまりそれは「歌」でなく曲全体=アンサンブルに焦点を当てているのです。
こうしたマナーに従った音作りがシティ・ポップの特徴のひとつです。
情景描写で語る
シティ・ポップにおいては、歌謡曲的な「愛してる」とか「~しよう」とかいった感情表現より、クールに情景描写で語ることが好まれます。
たとえば、杉山清貴&オメガトライブ「ROUTE134」のこんな歌詞(作詞:康珍化)。
葉山を抜けたら 風の匂いが変わる 高鳴るハートで アクセル踏み込んだ Sea side village 海沿いでは 眠らぬこの季節が どこより眩しい ヨットハーバーを越えて ゆるいカーブを切れば 都会から消えた 彼女たちにも会える はずしたサーフボード 身軽なボディーのまま 朝までとばそう Take me 来る夏を抱きしめる ルート134 Hold on 気の早いトビウオが きらめく海へと パインの林が 渚をかくす頃に すれ違うジープ 想い出照らし パッシング・ライト
ひたすら情景描写が続きます。
このように、シティ・ポップでは情景描写に心情を織り込む方法が多く見られるのが特徴的です。
これも「歌」一点に集中させず、楽曲全体を聴かせるための意図だといえるでしょう。
AOR歌謡の特徴
歌と演奏を切り離さずに聴くシティ・ポップに対して、「AOR歌謡」は「歌」が中心です。
「歌」と演奏を切り離して聴かせようとすると、次の3つが際立ちます。
- 愛すべきダサさ
- 歌が手前、演奏がうしろ
- 哀愁を感じさせる風景
どういうことか詳しく説明しましょう。
愛すべきダサさ
AOR歌謡には「愛すべきダサさ」が感じられます。
こうしたダサさは、日本のペンタトニック・スケール(ヨナ抜き)や「こぶし」による唱法に洋楽のスタイルを組み合わせたときのミスマッチから生じます。
スーツを着ているけど足元は下駄。例えていうとそんなイメージです。
ゆえに「愛すべきダサさ」が感じられるわけですね。
シティ・ポップの制作手法では先にフォーマットがあるので、ペンタトニックやこぶしをあらかじめ排除して作られます。
そうすると露骨な「ダサさ」が出づらくなるのです。
歌が手前、演奏がうしろ
歌謡曲では「歌が手前、演奏がうしろ」の法則があります。
どんな音楽のステージでも、バンド編成は手前がボーカル、そのうしろが楽器演奏者という並びになっていますが、かつての日本の歌番組ではボーカルとバックの演奏者との距離がだいぶありました。
よくあったのが歌手が手前で歌っているバックに階段があり、階段の上で楽器が演奏されるパターン。
このように、物理的な距離をとることで「歌が手前、演奏はうしろ」が徹底されていたのです。
レコーディングもこうした考えのもとになされていました。
1980年代になって機材をケーブルでつなぐ「ライン録音」が採用される前、歌謡曲のレコーディングの主流はスピーカーの前にマイクを置いて録音する方法。
こうした録音の仕方をすると、演奏の輪郭がぼやけます。
「歌が手前、演奏はうしろ」の考え方においては、ぼやけるのが正解なのです。
ボーカルだけがくっきり聴こえればいいのだから。
「ライン録音」が採用されるようになった80年代中盤には、そのようなレコーディングはほとんどなくなりましたが、「歌が手前、演奏はうしろ」の考え方自体は生き残っています。
1980年代までの歌謡曲のレコードには「歌と演奏:〇〇」といった表記がありました。
そこには「歌が手前、演奏はうしろ」の考え方がにじみ出ているのです。
このように歌と演奏を区切って聴けるのがAOR歌謡の特徴といえるでしょう。
哀愁を感じさせる風景
哀愁を感じさせる風景の描写も、AOR歌謡の特徴のひとつです。
中原めいこの「涙のスロー・ダンス」にはこんな一節があります。
最後の夜に ほほよせて踊った Slow number 肩で泣いて 泣いて 泣いて 恋なの
3度繰り返される「泣いて」が哀愁を誘います。
また、昨年サブスクリプションで世界的に人気が急上昇した松原みきの「真夜中のドア」 にもそうした風景が描かれています。
「真夜中のドア」の曲調は、キャロル・ベイヤー・セイガーの「It's The Falling in Love」をモティーフにしたAORらしいドライなテイスト。
曲調に合わせて全体的な歌詞はシティ・ポップらしい情景描写中心ですが、サビで歌われるのは次の歌詞。
Stay with me/真夜中のドアをたたき/帰らないでと泣いた
ここで一気に哀愁感があふれ出します。
いま新たに「真夜中のドア」を聴く人には、いきなり涙があふれだす感傷的な展開に心をくすぐられるはずです。
もちろん、歌詞だけでなく音自体が哀愁を感じさせる響きになっているパターンもあります。
その秘密はマイナー(短調)コードが使われていること。
さらにいえば「m7♭5」というコードが入っていると「哀愁感」が強まります。
たとえば杉山清貴&オメガトライブの「ガラスのPALM TREE」。
この楽曲では、Bメロの「ふたつの愛をためすようにね」のところで「m7♭5」が使われています。
どうでしょう。哀愁を感じませんか?
70年代〜80年代の日本産ポップスは、ここまで見てきたシティポップの特徴とAOR歌謡の特徴が混在しています。
「シティ・ポップ」と「AOR歌謡」は、明確な線引きを意識されずに作られたからお互いに両方の要素が混ざるのです。
おわりに
ここまで述べたことをまとめましょう。
- シティポップとAOR歌謡は「歌」の扱い方が違う
- それぞれ制作手順が異なる
- シティポップとAOR歌謡は明確な線引きを意識されずに作られた
当サイト「たまらなく、AOR歌謡」では、こうした鑑賞ポイントやそれぞれの特徴を意識してシティポップとAOR歌謡を紹介していきます。